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第二話 「奇跡の男」と「Dr.エンジェル」

球技大会からちょうど一週間が経った金曜日の朝、珍しく早起きをした俺、一条 茘枝(いちじょう れいし)は余裕をもって学校に登校していた。
いつもは急いでいて見ることもない風景をのんびりと眺めながら歩き、朝の爽快感を味わうつもりだったのだが、

「はぁ……」と思わず空を見上げながら一人ため息を出してしまう。

よりにもよって今日の空はどんより曇っていて、黒い雲達は早く雨を降らせたくてウズウズしていた。これでは朝の爽快感など微塵も感じられない。

というか、傘を持ってくれば良かった。

今朝はテレビを観る余裕もあったのにどうして俺は天気予報ではなく、「おいしい春キャベツの食べ方」なる適当にまわした番組の1コーナーを観ていたのだろう?
俺の食糧補給係りである瀬々木 花梨(せせらぎ かりん)ならまだしも俺には全く意味のない情報だったぞ。
おまけに無性にキャベツが食べたくなり、「それなのにどうして俺は食パンなど食べているんだ?」と久しぶりで嬉しいはずの朝食に変なイライラ感を覚えてしまったじゃないか!

……まぁ、いいや。
そんなことより、「寒い……」また独り言が出てしまった。
灰色の空に呼応するように、みんなから存在を忘れられつつあった冬が突然の最後のアピールを頑張っていた。
全く、昨日の暖かさは何処に行ってしまったんだ? 切れてしまったシャンプーを買いに行っただけだったら俺が代わりに買ってきてやるから早く戻ってきて欲しい。

周りを見る。

学生の通学路として整備された狭くはないが広くもないコンクリートの道路を挟むようにびっしりと数多くのこぢんまりとした住宅が立ち並んでいる。
その多くが日本の一般的な住宅だが、ところどころにモダン風の最近の住宅も見られる。
こぢんまりとした住宅の中にはこれまたこぢんまりとした庭を持っている住宅もあり、その中の低木や花壇に咲く花のおかげで、なんとかこのような無機色な世界でもポツリポツリと鮮やかな自然の色を見ることができる。
外国の人がこの光景を見たら息苦しくて窒息してしまうかもしれないが、国土が小さい日本、ましてはその中の住宅街となれば当たり前の光景であり、純粋の日本人である俺は当然だが息苦しさなど感じない。

通学路として使われている道路に車の姿は少なく、代わりに学校に登校している多くの学生の姿を見ることができる。
この時間に登校しているという事は俺と同じく部活に入っていない生徒か朝レンがない生徒達だろう。
その中の何人かは友達同士や恋人同士で登校しているようで、周りから楽しそうな話し声や笑い声が聞こえてくる。

だが、今日のような暗い天気の中ではこのような風景もどこか元気なく見えてしまうもので、このような世界では明るい事を考えるのは難しい。
そんな訳で、一人で登校していて暗い風景にも見飽きた俺はついついどうでもいい事を考えてしまう。

例えば、もうこの世にいない坂上 隼人(さかがみ はやと)の事とか……


四日前の月曜日。
クラスの諜報員である九重院 晃(くじゅういん あきら)から事故の事を聞かされた俺は学校から帰宅するとすぐにテレビをつけ、ニュース番組で事実を確認した。

「坂上家、全員交通事故で死亡」確かにこの事故は存在していた。

地方で起こった可哀想な事故として、それは番組内たった三分ぐらいで簡単に何枚かの写真と女子アナウンサーの何の感情もうかがえない平坦な声で淡々と報道されていた。
どこのメーカー産か分からないほど潰れている一台の黒い一般車と、綺麗な長方形だったであろうコンテナが無造作に歪んでしまっている一台のトラックの写真が事故の悲惨さを物語っていた。

事故の詳細を説明すると以下の通りである。

事故は日曜日の夜、つまり現在の金曜日から考えると五日前に起こった。
どうやら坂上家はその日家族揃ってどこかに遊びに出かけていて、その帰りにトラックと衝突したらしい。
坂上家つまり父・母・長男・長女・そして次男である坂上 隼人、五人全員が死亡した。
車はトラックのコンテナに衝突した為、幸いにもトラックの運転手は軽傷で済んだようだ。
原因は坂上家側の運転ミス、つまり信号が赤だったにもかかわらず坂上家の車は交差点を渡ろうとして、右の車道から来たトラックと衝突。警察は疲れから来た不注意によるものとみている。

要するにこの事故の被害者はトラックの運転手であり、加害者は坂上家ということになる。 よって、本当ならば加害者である坂上家は謝罪をするなり罪を受けるなり何かしらの方法で償わなければいけないのだが、すでに全員死亡している為、この事故はこれでおしまい。なんとも後味の悪い事故である。

「まったく、簡単に死にやがって……」思考の海から帰ってきた俺は、そんな別に深い意味など全くないどうでもいい言葉を単調に口にしていた。
で、また風景を眺めることに専念しようと思ったのだが、やはり元気のない風景など見てもつまらない。
よって俺の目の網膜が、面識はないが自分と同じ高校の制服を着ている学生達の後姿を映し出した時、俺は再び暗い思考の海へと漕ぎ出していた。


ニュースが流れた月曜日の翌火曜日、学校では急きょ一限の時間を変更して全校集会が行なわれた。

その日は快晴でとても暖かかったのだが、当然のようにみんなは暗く、悲しみに包まれていた。
特に暗かったのは坂上と同じ学年である我らが二年生だった。
やはり坂上の知名度は物凄かったらしく、二年の中で球技大会までに坂上の事を知らなかったのはどうやら俺一人だけだったようだ。

教頭による長々とした事故の詳細説明(全部、ニュースの内容と同じだった)が終わり、全員で一分間の瞑想に入った頃には何人かのすすり泣く声が聞こえた。
皆は坂上がちゃんと安らかに眠れる事を祈り、そしてまたこう願った。

「朝倉 柚子(あさくら ゆず)が一日も早く学校に戻ってくるように」と。

そう、坂上の恋人だった朝倉はあの事故以来、学校に登校していない。
普通の人よりも死に慣れていて、坂上とは一回しかしゃべらなかった俺でさえ坂上の死を聞いた時は少しばかりの悲しみを抱いたということは、すなわち、坂上に一番近く、坂上を誰よりも一番愛していた朝倉が受けた衝撃と悲しみの量は測りきれないほど膨大なことは当然であり、そんな彼女が精神を壊して病院に入院したのは必然の流れといえよう。

そういえば花梨が一度、朝倉のお見舞いに行ったそうなのだが、面会謝絶で結局会えなかったそうだ。
なんでも、坂上の死を聞き、強い衝撃を受けた朝倉は最初、錯乱状態で病院に運びこまれ、そのまま彼女の心は完成したジグゾーパズルを床に落としたみたいにバラバラに散乱してしまったそうだ。
よって朝倉は現在、植物人間と同じ状態にあるらしい。
つまり、肉体はちゃんと生命活動を行なっているが朝倉の精神は生命活動を行なっていないという事で、それは真っ暗な無意識下の世界に落ちてしまった朝倉が自分の手で散乱してしまった「心」という名のジグゾーパズルを完成させるまで続くらしい。
なので、面会謝絶。
というかお見舞いをしても朝倉は何も答えてくれない。
今はただ、朝倉が一刻も早く自分の力でジグゾーパズルを完成させるのを願うしかないのだ。
それが明日完成するのか、それとも何週間後か、何年後かは分からんが。


……事故から五日経った金曜日である現在、どこのニュース番組もこんな事件性が何も無い単なる事故のことなど忘れてしまったようで、あの事故に触れることは一切無くなった。
代わりに、視聴率がとりやすい「ある有名な芸能人同士のカップル誕生」などという本人達にしてみれば迷惑で、視聴者からしてみても知ったところでキャーキャー言うことしかできないくだらないニュースばかり流している。

学校でも今や、事故の件もしくは坂上および朝倉の話をする生徒はほとんどいない。
皆もニュース番組と同じようにその芸能人カップルの話ばかりしているのだが、ニュース番組と唯一違うところは皆あの事故の事は忘れてなどいないという点だろう。
おそらく、皆必死になって忘れようとしているのかも知れない。

まぁ、ただどちらにしても時と共にあの事故やそれによって受けた悲しみ、その他もろもろの感情は人々の記憶から「……色褪せていくのさ」とまた俺は一人呟いていた。

……って俺今日、独り言多すぎないか!?
やばい、高校生にも関わらず初老を迎え始めたのかもしれない。と俺は一人で悩んでいたら、「珍しいではないか。茘枝がこんな時間から我が母校に向かっているなんて」と、いきなり耳元から声がし、左肩をポンと叩かれたもんだから、不覚にも俺は「おわ!?」などと軽く声を出して驚いてしまった。

声の主は当然、クラスの諜報員として必須なアビリティー「気配を絶つ」を常に放出し続ける男、九重院だった。
突然九重院が現れる事には慣れているつもりだったのだが、いつもは急いでいて誰にも会わない登校中に九重院が現れる事には流石に慣れていなかった。

俺の驚く様をいつもの気色の悪い笑みで堪能した九重院は「驚くことはなかろう? 一人寂しく登校している我が友を見かねて声をかけてあげたのだ。ここは嬉しがるところだろう?」と朝の挨拶をしてきたので、俺も「一人寂しく登校してたのはお前もだろ」と何気なく挨拶を返してやる。

「うむ、まったくだ」と九重院は俺と肩を並べて歩き出す。

普段、九重院は意外とおしゃべりである。
なぜなら、いつも自分が仕入れてきた情報やミステリーを人に聞かせたくてしょうがないのである。
……だが、今日の九重院は静かだった。

しばらく二人して沈黙の中を歩いていたのだが、俺はその事にたいして気にせず前を向いて歩いていた。
まぁ、今日みたいな暗い天気の中じゃあ九重院もあんまりしゃべりたくないのだろうと一人その理由に検討をつけていたら、「茘枝、あの事故の件なのだが不審な点がいくつか出てきてな。聞いてくれるか」と、隣からいつもより1つトーンが低い九重院の声がした。

俺は横目で九重院を見る。
いつのまにか「NO.28」と書かれている生徒手帳を取り出していた九重院の姿がそこにはあり、そんな九重院の目は面白くなさそうだった。

あの事故というのはもちろん坂上が死んだ交通事故のことだろう。

四日前の月曜日、俺に事故が起こった事を知らせた以来、九重院はその事故について何も触れてこなかった。
だが、どんな事件でも調べるのがこの九重院である。
おそらく独自に調べていて、不審な点を発見してしまったのだろう。
だが、不審な点やミステリーを少しでも発見するといつもなら太陽みたいに輝かせるはずの隣にいる九重院の目は全く輝いていないし、面白くなさそうである。
まぁ、自分が少しでも知っている人間が死んだ事故ならば調べても面白くないのは当然なのかも知れない。
「面白くないのなら調べなきゃいいのに」と俺は心の中で思うのだが、妙な所で九重院は律儀だからな、きっと調べてしまったのだろう。

で、誰かに調べた事を聞かせて一緒に考えて欲しいのだが、江口と花梨に話すわけにはいかない。
よって、事故のことを知っても比較的ダメージが少なかった俺に話を聞いてもらおうというところか。
確かに、今は俺と九重院の二人しかいないし、サッカー部である江口 洋介(えぐち ようすけ)は朝レン、花梨は来週からのゴールデンウィーク中に行なわれる絵の展示会に出展する為の絵を仕上げる為に二人共もう学校に登校しているはずだからな。
話している途中で偶然会うこともないだろう。

事故の件で、大きなダメージを受けたのが江口と花梨だった。

坂上が死んだ事を知った当初、江口は「ふん、アイツが消えてせいせいするね」と悪態をついていたが、昼食時になるとただ箸で弁当箱を突くのみで全く食が進んでいなかった。
最近では元のように普通に振舞って、弁当をガツガツ食べ、「モテたい、モテたい」と連呼している為、少しは落ち着いたようなのだが、時折寂しそうな顔をするので坂上の件を再び持ち出すのは良くないだろう。
…まったく、たいした知り合いでもなかったくせにあんなにヘコむなんてな。本人は認めないだろうが、江口は他人に感情移入しすぎる癖があるからな。

「まぁ、他人に感情移入しすぎる点は花梨にも言えることか…」と俺はいつものメンバーで一番ダメージを受けていた人の事を思い出す。

花梨のヘコみようは酷かった。
確かに花梨の場合、坂上の事だけではなく友達の朝倉の事も絡んでくるわけで、そりゃ、ダメージはでかいよな。
しかし、朝倉とはそこまで仲が良かったという訳ではなかったのも事実であり、わざわざ見舞いに行き、結局面会謝絶で会えずじまいでトボトボ帰ってくる事までする必要は無かったと思う。
元気がない花梨なんて久しぶりに見たし、そんなのは俺の知っている花梨ではないので止めて欲しいね、まったく。
まぁ、最近では江口と同じように段々と落ち着いてきたようだからいいけどな。

でも、花梨にひとこと言いたいのは、「もう、精進料理を作ってくるのは止めてくれ」

あの事故以来、花梨の弁当は魚と肉を一切使わない精進料理が続いている。
死者に安らかなる眠りを願う為とか何とかは知らないが、それは間違っているぞ、花梨さん。
まだギリギリ成長期と呼ばれる高校二年生という立場の中にいる俺としては肉が食べたいのです、肉が。

……と朝から冴えている頭で、九重院の真意と、ここにはいない二人の様子と、ついでに花梨に対する愚痴を一瞬で考えた俺は、隣で一緒に登校している九重院に向かって「いいぜ。是非聞かせてもらおうか」と即答して、あの事故に関する不審な点なるものを聞いてやる事にする。

「おぉ、聞いてくれるか」といつものトーンを取り戻した九重院が話し出す。

「不審な点は三つあってな。一つは、坂上家は今どき珍しい亭主関白の家庭だったそうだ。それもかなり厳格な父親だったそうで、とりわけ食事には厳しく、少しでも味が気に食わないと怒り出す始末。その為、父親と子供達の関係はあまり良くなかったというか、子供は父親の事を恐れていたらしのだ。だから……」

だから、日曜日に家族揃って何処かに遊びに出かけるのはおかしい…か?…と俺はその先を予測して答えてやる。
確かに妙な話だ。そんな家庭だったら家族揃って遊びに行くようなアットホームな事はまずしないだろう。

「うむ。その通りだ茘枝」と九重院は頷き、そして生徒手帳のページを一枚めくってから「そして二つ目だが、事故が起こった日曜日、本当ならば坂上 隼人は朝倉 柚子と水族館で逢引をしているはずなのだ。朝倉と仲が良かった友達が先週学校で朝倉からそういう計画があることを聞かされていたから、この情報は間違いなかろう」

……逢引(あいびき)ねぇ。なんとも九重院らしい言い方だが要するにデートだったっていう事か。
つまり、坂上は朝倉とのデートを中止にしてまで家族と出かけた……

「それで、最後の三つ目は単なる拙者の想像なのだが…」と九重院は最後まで立て続けに話してしまおうとしたみたいなのだが、一瞬躊躇してしまったようで、声の大きさを少し落としてから「茘枝、お主は朝倉 柚子の事をどう思う?」と九重院にしてはずいぶん遠回しな質問をしてきた。

どう思う? と聞かれてもなぁ――俺は朝倉とは面識が全くないからな。ただ、「可哀想だな」とか「早く回復して欲しい」とか、そこら辺の一般的な感想しか出せないぞ。
何か気になる事でもあるのか? 九重院。

九重院は「茘枝よ。拙者はな、ただ愛しい人が死んだと聞いただけではあそこまでの状態にはならないと思うのだ」とよく意味が分からない事を口にした。

あそこまでの状態?―――朝倉が植物状態のことを言っているのか?

九重院は間違って苦手な物を食べてしまったような、苦々しい顔をしながら、「こんな風にしか物事を考えられない己を拙者はたまに忌々しく感じるのだが…」と、まぁ本当に九重院らしくない前置きを言ってから「愛しい人が死んだと聞いただけで植物状態に陥るほど人は弱い生き物ではないと拙者は思うのだ。確かに強い悲しみを受けて、何日間は学校に来なくなったり、食べ物が喉を通らなくなることは十分に考えられるが、錯乱状態からの植物状態はいささか行き過ぎだとは思わんか? だが、現に朝倉 柚子は強い衝撃を受けて植物状態に陥っている。……つまりだな、拙者が思うに、朝倉 柚子は坂上 隼人の死をただ聞いただけではない。それよりももっと強い精神的な衝撃を受けたとは考えられんか?…例えば、坂上 隼人が死ぬところを見てしまったとか……」

自分の言いたい事を全て伝えきったらしい九重院は28代目の生徒手帳を胸ポケットに戻し、俺の意見を聞くためにメガネ…いや、目線をこちらに向けてくる。

はぁ、「早起きは三文の得」とはいうが、それはウソだと思う。
朝の登校の段階で、こんなに頭を使ったのは初めてだ。
もうすでに俺の脳細胞が消費したカロリーの量は、朝食の食パン一枚で得た300にも満たないカロリーなどとっくの昔に消費し尽し、残りわずかな昨日の夕食で得たカロリーにまで手を伸ばしているぞ、絶対。

俺は「もう二度と早起きなどしない」と人間あるまじき決意を胸に誓いつつ、「乗りかかった船はちゃんと最後まで乗る」という人間らしい事をすることにする。

ちょっと待てよ、九重院。
ニュースで見たが、事故が起こったのは、この御川市からかなり離れた場所だぞ? 朝倉が事故を偶然見かける可能性は限りなくゼロだ。
それとも、お前は朝倉が事故の瞬間、坂上と同じ車に乗っていたとでも言いたいのか? ニュースで、車に乗っていたのは坂上家だけで、生存者はトラックの運転手だけだったと言っているのに?
ニュース番組が嘘のニュースを流しているのなら話は別だが、嘘のニュースを流していいのは、第二次世界大戦中の日本と、どっかの独裁国家しか認められてねぇ―よ。それぐらい、お前なら分かっているのだろうに。

俺の論理的な意見に九重院は「お主の言うとおりなのだが……」と、まだどこか腑に落ちない顔をしたので、今度は倫理的な意見を言ってやる事にする。

確かに俺も朝倉が植物状態っていうのには驚いたが、人間っていうのは十人十色だろ?
俺は朝倉とは面識がないからなんとも言えんが、好きな人が死んだと聞いて植物状態になれるほど朝倉 柚子という人間は良くも悪くも純粋な人間だったっていう事だ。
俺も少しは見習いたいぐらいだね。
そんな朝倉に愛されていた坂上は幸せだったと思うぜ?
まぁ、そんな朝倉を一人残して逝った坂上は最低だけどな……

俺はそんな臭いセリフを吐き、最後には少し空を見上げる演技まで入れてみる。
うむ、我ながら三流役者もいいとこだ。
よし、三流ついでにさっきから心の中で思っていた事を九重院に言ってやるとするか。

それにな、九重院。
お前の顔、さっきからつまらなそうだぞ?
ミステリーかも知れんが、面白くないのなら調べる価値はないだろ? 面白いからミステリーを調べるんだろ、お前は。
全くこれじゃぁ、本末転倒もいいとこだ。

俺のこんな三流の意見を聞いた九重院は立ち止まって、俺の顔を少し目を開いて見ていたが、しばらくすると腹を抱えて「クックック……」と気色悪さ全開で笑いはじめた。
「クックック……まさか、茘枝。お主に諭されるとは。うむ、その通りだ。面白いからこそミステリーはミステリーなのだ。拙者としたことが、そんな簡単な事を忘れていたようだ。拙者も坂上 隼人の件を調べるのはもう止めにして、他の皆と同じように冥福を祈るとしよう……それにしても茘枝、お主はミステリーとは何なのかよく理解しているではないか! どうだ? 今からでもミステリーサークルに入らんか? 入ってくれるのなら、名誉ある第二突撃隊隊長の座を用意するぞ?」

……第二突撃隊隊長ってなんだ? まぁ、聞かなかった事にしよう。当然ながら入部の件もお断りだ。

「ふむ、残念だ」とそう言う九重院の顔は全然、残念そうではなく、むしろどこか晴れ晴れとしていた。

「では、拙者はこれで失礼する。これから朝の短い時間を有効に利用して、我が同志たちと来週のゴールデンウィーク中に決行する例の作戦の打ち合わせがあるものでな。礼を言うぞ、茘枝。お主のおかげでこの作戦にまた集中ができる」
そう言い終えるや否や、九重院は俺の目の前から消えた。
……いや、ものすごい速さで校門を抜け、校舎へと走っていった。

頭を使うのと、話すのに夢中で気が付かなかったが、俺達はもう校門前にまで来ていたようだ。
俺もどんどん小さくなっていく九重院の後姿を見送りつつ、校門をのんびりとくぐる。
くぐりながら、俺はさっき九重院に黙っていた事を一人思う。

さっき九重院には「今の日本は嘘のニュースなど流さない」と言ったが、実は今の日本…いや、世界が流しているニュースの一部は嘘である。(俺も何のニュースが嘘で何が本当かは、あのエロ悪魔から聞かないと分からんが)
低確率だが、もしかするとあの事故は嘘で、坂上 隼人は交通事故で死んだのではないかもしれないし、九重院の言うとおり、朝倉はもしかすると坂上と同じ車に乗っていたのかもしれない。

だけど、そんな事はどうだっていいだろ?

結果が同じだったら、その過程がどれだけ異なっていても意味が無い。
そう、過程がどれだけ違っていたとしても、坂上の死、朝倉が植物状態という「結果」はおそらく変わらないのだから……


で、今日の授業で使うはずだった朝食で得たカロリーを朝の登校の段階で使い果たしてしまった俺は仕方がないので午前中の授業は寝て過ごし(まぁ、これは単なる言い訳で、多分、九重院と会わずにカロリーを温存していたとしても寝ていただろうが…)、昼休みに前の席の江口にいつも通りに起こされ、いつも通りの昼休みを迎えている。

いつも通りと言っても、今日は嬉しい事が2つも起こっている。

まず一つ目。
今日から花梨の弁当が精進料理ではなくなった事。(花梨が落ち着いてきたということか)

そして、二つ目。
その弁当の中身がロールキャベツという事。

……なんと言いますか…すげぇよ。花梨さん。
なんで、あなた様は俺が朝に「おいしい春キャベツの食べ方」なる番組を見ていて、無性にキャベツが食べたくなっていた事をご存知なんですか?(だって、あなた様はその番組が放送されていた時間、もう学校に登校して、絵を描いていたはずですよね?)
う〜ん、まっ、俺の食糧係りだから当然か! と、花梨が起こした奇跡(本人は全く気が付いていない)を一瞬、頭の中で尊敬し、疑問に感じたが、一瞬にして「俺の食糧係りだから当然か」という理不尽な理由で納得した俺はロールキャベツにかぶりつき、「中華ではない」しかもキャベツ料理のロールキャベツは当然美味かったので、感謝の意を込めて花梨がこっちを向いていない隙を狙って、右手の親指を立てるグーサインを花梨に送っておいた。

しばらくして、早くも自分の弁当を食べ終え、花梨ジャンガリアンハムスターのモグモグ顔(げんこつサイズのロールキャベツを切らずに、一口でほうばる為にできる)や、九重院の持っている謎のコンビニの袋に書かれている文字は一体どこの(おそらく、地球外)の言語なのか? といった、いつもの風景、疑問に見飽き、考え飽きたらしい、江口は「あ―ぁ、早く彼女が欲しいぜ」と、これまたいつものセリフを吐き始めた。

仕方が無いので、俺がいつもみたいに適当に相手をしてやろうと思ったのだが…
「では、拙者が1つ占いを教えてやろう」と、珍しく九重院が江口の相手をし始めた。

「なんの占いだ?」と江口。

「江口のことを意識している異性が誰なのか分かる占いだ」と九重院。

それを聞いた江口は「なにっ! そんな素晴らしい占いがあるのか!? すぐに教えろ、晃。…いや、晃様」と、小さすぎるプライドをかなぐり捨てて、ボーリング初心者が偶然にストライクを出した時のように興奮し始めた。

俺は「少しは落ち着け」と、アドレナリン出しまくりの江口を忠告するつもりだったが、隣の花梨までもが「なになに? 私も知りたいっ!」と興奮し始めたので、俺はめんどくさいので落ち着かせるのを諦めた。

俺はすっかり忘れていたのだ。
花梨は女性であり、女性という生き物は恋愛とか占いなどを糧にして生きる動物だということを。

「まぁ、まて」と、九重院は胸ポケットから29代目の生徒手帳を取り出すと、「自分のことを意識している異性が誰なのか分かる」という占いを教え始める。
まぁ、試しに俺もしてみるかな(暇だし)

「まず、始めに自分の好きな色を想像してくれ」と、九重院。
好きな色…ミドリかな? と俺は頭の中で思い浮かべる。
「つぎに、自分の好きな形を想像してくれ」と九重院。
好きな形ねぇ、四角かな。
「そして、先ほど思い浮かべた色と形から連想するモノを1つ想像してくれ」と九重院。
ミドリと四角………う〜ん、テニスコートかな。
「よし、連想したモノを叫び続けろ。最初に声をかけてくれた異性が、自分に好意もしくは興味を抱いている人だ」と九重院。
つまり、俺の場合は「テニスコート」と叫び、最初に声をかけてくれた異性という事か…
…って、そんな恥ずかしいことできる人間などいないだろ! と九重院につっこもうとしたら、「黒いパンティ!!!!!!!」と叫びながら一人のバカが教室を飛び出し、駆け出していった。

そのバカの「黒いパンティ!!!!!!」という叫び声が廊下から聞こえるたびに、か弱い女子達の「きゃぁぁぁ!!!!!!」という断末魔が廊下から聞こえてくる。

そのバカはもちろんサッカー部のディフェンスであり、名を江口 洋介という。

おそらく、江口の場合は好きな色が「黒」で好きな形は「三角」だったんだろ。
それにしても「黒いパンティ」って……江口のやつ、占いの結果に期待しすぎてその単語の意味を理解していないな、きっと。

遠ざかっていく江口の足音と「黒いパンティ!!!!!!」という叫び声。
遠ざかっていく女子達の「きゃぁぁぁ!!!!!」という断末魔。
江口の事など忘れて、花梨が持って来た温かいお茶を飲む俺。
腹を抱えて「にゃははは」と笑っている花梨。
気色悪い笑みを浮かべながら生徒手帳に何かを書き込んでいる九重院。

江口の叫び声がずいぶん小さくなってきたとき、「誰? 変な事を叫んでいるのは!?」と、ついに女性の声が江口にかけられた。
これは予想外だ! まさかあんな変態(江口)に声をかける女性がいたとは。一体、誰なんだ? 声だけでは誰だかは分からんぞ。と、悩む俺の気持ちを察するように遠くから江口の声が聞こえる。

「あなたは家庭科の板橋先生!? まさか、あなただったとは! 心配しないでください! 俺は年上でも全然大丈夫ですから! 」

「へ? 一体なんの話……」と、困惑する声を出す、25歳、教師生活まだ二年目のうら若き板橋先生。

「せんせ―――い!!! 俺の熱き想いを受け止めてくれ―――!!!」と江口。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

こうして、可哀相な板橋先生は心に傷を負ったのだった。

………「あ――茶はうまい」そう言いながら俺は窓の外の景色をみる。外は今日も平和だった。


それから数分間、ボディビルダーなみのムチムチ筋肉が自慢の体育教師の佐藤に、指導室で怒られているであろう江口がいないおかげで、しばらくは静かな昼休みを堪能していたのだが、突然、教室のスピーカーから流れてきた放送が俺の平穏をぶっ壊す。

その放送は放送部であろう女子の平坦な声でこう流れた「保健室の早乙女(さおとめ)先生からの呼び出しです。二年五組の一条 茘枝さん、一条 茘枝さん。この前の健康診断の結果、胃にポリープが見つかりましたので、至急保健室にきてください。繰り返します。二年五組の一条 れ…」

………んなわけねぇ―だろ!!! 俺は心の中で反射的につっこむ。

どうやったら、体重測定・身長測定・視力検査・尿検査・歯科健診しか行なっていない学校の健康診断で、胃のポリープを見つけられるんだ。
なっ、皆もそう思うだろ? と、俺はクラスの皆に同意を求めようと、周りを見回したが、案の定、皆は「またか…」みたいな静かな空気を出し、俺を見ている。
どうやら、また皆はこの放送を完璧に信じているようだ。

冷たく、沈黙の空気を最初に破ったのは花梨だった。
花梨は涙声で…いや、完璧に泣きながら「ひぐっ…またなの? 茘枝? バカァ……早く、はやく…早乙女先生のところへ行って……先生なら必ず治してくれるからぁ…」とポロポロ涙を流しながら俺にすがりつく。
………めんどくせぇ。

クラスの皆もそれぞれ俺に声をかけてくる。
「そんなに心配するな。『Dr.エンジェル』ならきっと治してくれるって」
「さすがは『奇跡の男』だな…」
「早く良くなってね、『奇跡の男』!」などなど。

………めんどくせぇ。

その間中、「クックック」と、九重院はずっと生徒手帳に何かを書き込んでいた。


花梨の付き添いを必死に断った俺は今、そんな訳で一人、保健室に向かっている。
先の話で気づいた人も多いかも知れないが、このような感じで俺が保健室に呼び出されるのは今回が初めてではない。

この南御川高校に入学して以来、このような呼び出しは数度にわたり行なわれており、その度に俺は、白血病・マラリア・背骨にヒビなどといったヘタをすると死に至るような病気や怪我に侵されてきた。
そして、俺はそれらの病気や怪我を全て治してきたので、俺は全く認めていないが、いつからか「奇跡の男」などというあだ名までつけられしまった。

………もちろん俺はそんな病気や怪我になった事などない。
あの嘘放送はエロ悪魔が俺に「仕事」の話をする為に使う暗号な訳だが、普通に考えて、もっと穏やかな呼び出し方があると思うぞ、絶対。
と、エロ悪魔に対する愚痴と怒りを頭の中でグルグルと巡らせていた俺はいつのまにか保健室の前にまで来ていた。
ドアをはさんで向こう側から「あっ…だめ、先生……そんなとこ、さわっちゃ…あっ……」などと愛らしい女性の吐息が聞こえてくるが、構いやしねぇ! 俺は勢いよくドアをあけた。

案の定、そこにはコタツの中でイチャついていたエロ悪魔とうちの学校の制服を着た女性、つまりこの学校の女子生徒の姿があったが、着衣が少し乱れたその女子生徒は俺が入って来るのに気づくとすぐに顔を真っ赤にして保健室から出て行った。
その女子生徒に俺は見覚えがなかったが、リボンの色からして後輩だろう。(この学校の女子制服は学年ごとにリボンの色が違う)

さて、保健室には俺とエロ悪魔だけが残された。

年齢は二十代後半。
首ぐらいまで伸ばした深い青色の髪。
右目が青で左目が緑という珍しい目。
ハーフ特有の整った顔立ち。
両耳にイヤリングをつけていて、身にまとっている白衣がなければ絶対に保健の先生とは思われないであろう、早乙女 カイン(さおとめ かいん)ことエロ悪魔は乱れた白衣を直しながら、じっと黙って俺を見つめていた。

数秒後、早乙女は黙って立ち上がると、色々な薬が置いてある戸棚まで歩いていき、ドクロのマークが描かれているビンを取り出すと、勢いよく、躊躇なく俺に向かって投げてきた。

あぶねぇぇぇ。
俺は反射的にそのビンをかわし、ビンは後ろの俺が閉めたばっかりのドアにぶつかり、割れる。
沸騰したお湯の中に入れられた氷のようにみるみる解けていく、ドアとドアノブ。

なにしやがる!!! と、キレる俺。

「邪魔しやがって!」と、早乙女。

てめぇが呼んだんだろーが! と、また俺。

それを聞いた早乙女は「あぁ、そうだったな」とケロリと普段の態度に戻ると、保健室の真ん中に位置するコタツに座り、コタツの上に置いてあるミカンを1つ手に取り、そのミカンを俺に投げて渡す。
これは早乙女の「タバコを吸いたいから早く灰皿(ミカンの皮)をよこせ」という意味であり、早乙女はヘビースモーカーのくせして灰皿を持っておらず、ミカンの皮を灰皿代わりにする癖がある。

俺はミカンを受け取ると、上履きを脱ぎ、畳に上がり、早乙女が正面に来るようにコタツに座りつつ、素早くミカンの皮を剥き、ミカンの皮だけを早乙女に投げ返してやる。

ミカンの皮を受け取った早乙女は、白衣の胸ポケットからタバコの箱を取り出すと、そこから一本抜き、火を点け、「よろこべ、一条。お前に仕事だ」と今回の仕事について話だした。


さて、どこから説明しようか困るが、簡単に説明させて貰おう。

まず、お分かりの通り、この保健室は世にも珍しい和室である。
なんでも、早乙女の趣味でこうなったらしい。
とは言っても、和室の部分は畳とコタツぐらいなもので、他はそこら辺の保健室と変わらず、簡易ベットや薬を入れる為の棚などが置いてある。

で、俺がわずらった治療困難な病気や怪我を簡単に治してきた名医(実際は、当然だが治してなどいない)として学校中の皆から「Dr.エンジェル」などというあだ名で尊敬されている、早乙女 カインの表の顔は単なる学校の保健の先生だが、裏向きは非営利国際組織「ラマルキズム」の組織員である。

そして俺、一条 茘枝はエキドナ能力者(異常者)であり、自分のある「欲望」を満たす為に早乙女から特定の仕事………「エキドナ能力者討伐依頼(つまり、殺人依頼)」を受けている。


分かってくれただろうか?
え? 簡単すぎて分からなかった。だって?
まぁ、次の機会に詳しく説明するから今は聞き流しておいてくれ。
それじゃあ、話を戻す。

タバコをふかしながら早乙女は今回の仕事の内容を話し始めたのだが、意外な奴の名前がでてきた(いや、意外というよりは少しは予期していたのかもしれない)。

「一条、お前、坂上 隼人っていう奴を知っているか?」と。

教えてあげることはできないが、九重院、どうやらお前の疑問は正しいようだ。

あぁ、知ってるぜ。と、俺。

「ほぉ、一条。お前が人の名前を知っているなんて珍しいな」と、早乙女は少し目を丸くして驚く。

まぁ、この前、少しだけ関わりがあったものでな。
で、あの事故、どこまでが本当なんだ? と、俺はあの事故の真相を早乙女に問う。

そう、早乙女が今回の仕事の内容として、坂上家の事故を取り上げた時点であの事故は嘘だと確定した。
あれは単なる交通事故などではなく、エキドナ能力者が関わっている事件だということだ。

早乙女は俺の質問にこう答えた「父・母・次男(隼人)が死んだとこまでは本当だ」と。

俺は一瞬、どこが違うのか悩んだが、気が付いた。
長男と長女が死んでいないという所に。

よかったじゃねぇか。長男と長女が助かって。という俺の素直な感想に、早乙女は苦笑いをして「それが、あんまりよくなくてなぁ―」という前置きを言ってから、今回の事件の真相を簡単の述べた。

「坂上家の父・母・次男は、長男である坂上 鷹史(さかがみ たかし)・長女である坂上 燕(さかがみ つばめ)に食べられたんだよ」と。

………今回の事件はいつにも増してぶっとんでいた。



第三話に続く

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